ニューイヤー駅伝が群馬で開催されるのは、
①電波の中継地が赤城山エリア1箇所で済むこと。
②群馬県が誘致に積極的であったこと。
の2点が大きな理由です。
ニューイヤー駅伝と言えば、箱根駅伝と並んで日本のお正月には欠かせない駅伝大会ですよね。
全国の駅伝ファンのみならず、普段は陸上競技に興味がなくてもニューイヤー駅伝は
見逃せないといった人も少なくありません。
そこで、なぜ群馬でニューイヤー駅伝が開催されるのかについて、詳しく調べてみました。
ニューイヤー駅伝の中継に群馬が適している理由とは?
ニューイヤー駅伝がなぜ群馬で開催されるのか?その答えの一つが、
中継地が赤城山の1箇所で済むことです。
そもそも、なぜ中継地が必要なのでしょうか?
ニューイヤー駅伝の正式名称は、全日本実業団対抗駅伝競争大会です。
文字通り、実業団のナンバーワンを決める大会であり、1957年に第1回大会が
開催されていますから、実に50年以上の歴史がある由緒ある駅伝大会です。
これは、箱根駅伝にも言えることですが、テレビの力は絶大で、日本で最高峰の大会ながら
注目を集めるようになったのはテレビ中継が始まった1988年からです。
元々、ニューイヤー駅伝は第30回(1985年)までが三重県の伊勢、第31回(1986年)が
滋賀県の彦根で12月下旬に開催されていました。
そこから、テレビ中継が開始された1988年(第32回)に開催地を群馬に移し、
開催日も1月1日に固定し、ニューイヤー駅伝として生まれ変わったのです。
生まれ変わったニューイヤー駅伝は、群馬県庁をスタートし、群馬県南部の主要都市である
前橋、高崎、伊勢崎、太田、桐生市を1周する7区間100㎞のコースです。
そのため、全区間を中継しようとすると、場所によっては中継地を複数必要とし、
莫大な経費がかかります。
今でこそ、ニューイヤー駅伝は高い視聴率を誇る人気番組ですが、放送開始前は視聴率を
危ぶむ声も少なくありませんでした。
ところが、群馬であれば、山地が近いため、中継地は赤城山の1か所で済むので、
コスト的なメリットがあるのです。これが群馬での開催が続いている理由です。
群馬県人はニューイヤー駅伝に協力的である理由とは?
駅伝大会を成功させるには、開催地の協力がとても大切です。
その点、群馬県人はニューイヤー駅伝の開催に協力的です。
これが、群馬でニューイヤー駅伝が開催される二つ目の理由です。
群馬と言えば、元内閣総理大臣中曽根康弘氏の地元ですが、ニューイヤー駅伝の誘致には
息子である中曽根弘文氏が尽力しています。
群馬において、中曽根康弘氏、弘文氏の人気は絶大ですから、「支援しないわけにはいかない」
というのが群馬の人々の心情ではないでしょうか。
その結果、ニューイヤー駅伝は群馬県の全面協力のもと開催されており、運営側と良い
関係を築いているようです。
もちろん、コースの形状や警備面でのメリット、穏やかな天候も駅伝大会の会場としては
非常に適しているのは言うまでもありません。
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まとめ
ニューイヤー駅伝と言うと「なぜ群馬で開催?」と思う人も 少なくありません。
群馬県は山地が近く、電波中継地が赤城山の1か所で良いことから、テレビ中継に適しています。
また、ニューイヤー駅伝を誘致したのが、地元出身の中曽根弘文氏であり、群馬県全体で運営に
非常に協力的です。
こういったメリットがあるからこそ、1988年の第32回大会から30年もの長期にわたって
ニューイヤー駅伝は群馬で開催されているのです。
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